PMNニュース 記者は今日デビューした3人組です。 言葉狩りも人権侵害! 最近またもや「誹謗中傷」という隠れ蓑をかぶった人権侵害が表面化してきている。もう10年以上前、マスコミにもこの嵐が吹き荒れ、自主規制の名を借りた人権侵害が多発した。同じ過ちを繰り返さないため、ある親子に考えてもらう催しがあった。 (1)
子:「お父さん。『あの子、近視だ』って言ったら誹謗中傷で名誉棄損になって警察に捕まるの?」 父:「近視改善センターって看板出しているお店があるだろ?あそこのひと、パトカーが来て警察に捕まっているかい?」 子:「ううん。」 (2)
子:「お母さん。『あの人、不倫してる』って言ったら誹謗中傷で名誉棄損になって警察に捕まるの?」 母:「美容室に行ったら『女性自身』って本あるでしょ?あの編集長、毎月パトカーに連れて行かれて、捕まってるかしら?」 子:「ううん。」 (3)
子:「お父さん。『あの子、部落の人だ』って言ったら誹謗中傷で名誉棄損になって警察に捕まるの?」 父:「それはその地域の教育方針によるなあ。土居町では部落はないと学校で教わっているかい?」 子:「ううん。あるって教わってる。」 父:「その部落はどんなだって教わってる? 子:「部落は誇りだって。」 父:「誇りであることを隠すのはおかしいだろ?だけど、必要がなければわざわざ言うことはないけどね。」 子:「じゃあ、その必要があるときって、どんな時?」 父:「誇りを忘れているときだ!」 子:「浅田真央に『君は日本人だ。誇りを持て』って言ってあげて、トリプルアクセルを2回決めるような感じかな?」 父:「そうだね。だけど、大切なことがある。ほんとはね、《部落》なんてないんだ。だから、部落はないって教えるべきなのさ。そして、当然だけど、そう教えているところじゃあ、決して口にすべきじゃない。この言葉は。どうしてかわかるね。」 子:「いわれのない差別につながるからだね。」 ※ 記者雑感(長〜い) 10年以上前のマスコミの自主規制は、言葉狩りされない様に自ら手かせ足かせをはめたものでした。人権意識が高まるという一つの成果はありましたが、表現の自由・言論の自由をも奪うという危険な状態に日本中を陥れることになったのは、皮肉なことです。それに対して筒井康孝氏は断筆宣言をして、その行き過ぎの非を主張しました。また、小林よしのり氏は『ゴーマニズム宣言差別論』で徹底的に、その非を論じました。 今、ふた十年近い歳月が流れ、再び世相は言論弾圧の危険な方向に流れています。 国民はそれも見抜かなければならないと思います。 小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言差別論』による闘いは見事なものだったと記憶しています。ついに編集部の反対を押し切れずに載せられなかったギャグがあります。皇太子殿下と妃殿下のご成婚をジョークにしたものです。私たちに対する、大きな問いかけでした。 この表現の自由がどこまで許されるか、ということについては答えはないのではないでしょうか?しかし、国民が考えるのをやめたとき、その国が危険な方向に突き進むことは過去の歴史から明白だと思います。 上に創作したのは、ひとつの問題提起です。ずっと私たちの間で議論されてきた問題です。みなさんも、一緒にお考えください。 なお、ずっと昔に一世を風靡したドラマ『東京ラブストーリー』の原作者のマンガは、すべて『不倫』が舞台構成の大切な要素になっています。そこで、主人公は生き生きと生きているのです。夏目漱石の『それから』もそうです。としてみるなら、『不倫』には一つの大切な要素が含まれているのではないでしょうか?それをみんなが実行してしまったらまた大変なことになります。けれども、否定するのはおかしいのではないでしょうか?人生を考える上で、なにかカギとなるものがあるのではないでしょうか?『不倫』を悪いことであるととらえてしまう見方に私は、それでいいのか?と思ってしまいます。 この(2)は、『うつ病』と(同じではないけれども)よく似た要素があると思います。社会的に疎んぜられるということです。ほかに『性同一性障害』などもまだまだ社会的偏見は高いのではないでしょうか?『ホモ』とか『レズ』という言葉を聞いた時、上から下を見下ろすような感覚に自分でも気がつかないうちになっていませんか? 松田聖子があの生き方を多くの女性から支持された背景には、先進的な何かがあるのかもしれません。 私たちが、こういった言葉を配慮して使うことは大切です。けれども、頭を使って考えることはもっと大切です。なぜその言葉がいけないのか?いや逆にいいものがあるのではないか?社会的認識が足りないのではないか?なんでもかんでも、その時の自分のイメージだけで禁止用語にしてしまうことは 、その社会的認識が低いままで、つまり社会が偏見に満ちたままで後世に残してしまうことになってしまうのではないか? 【まごころ教育】サイトのおかげで、また掲示板に書き込みをされている『うつ病経験者』というハンドルネームを自ら掲げられたその方のおかげで、うつ病に対する社会的偏見は、少しなりとも低くなったのではないかと思います。大きな貢献だと思います。 このような社会的偏見に満ちたことをカミングアウトするのは勇気がいることでしょう。でもそのおかげで、のちに続く人が同じ過ちをしなくて済むようになるのではないでしょうか?もしも、「ダメダメダメ」と言ってすべてを禁止し、頭で考えることなく言われるままに従っているだけなら、差別意識は残るのではないでしょうか? 1年前、土居中では教頭先生が「うつ病の先生がおるいうてきいたら地域の人がどういうかわからん」と言ったそうですね。差別意識もはなはだしい言葉だと思います。地域の人に責任をなすりつけるのは卑怯だと思います。 『部落』という言葉は他の言葉とは重さが違います。これだけは、カミングアウトすることが必要だとは私たちは思いません。それが3人とも共通な考えです。生まれで差別するというのは、自分ではどうしようもなく変えられないことだからです。 同和教育(もちろん、同和団体に介入されたものではなく、学校が独自に話し合って決めていくもの)は必要だと思います。けれども、この『部落』においてだけは、『部落はない』これが私たち3人の一致した考えです。『国家』があることとはちがうのです。 しかし、『部落はある』、『部落は誇りだ』と教えられている地域では、そのような肯定的なイメージを表に出さなければなりません。ですから、その誇りを忘れているときは、『誇りを忘れるな』と知った知ることも必要でしょう。それは『部落』であろうと『そうでなかろうと』です。 『○○である前に人間であれ』 この言葉は、私たちがこのサイトへ来て初めて教えていただいた素敵な言葉です。 『この世にあるものは、すべてのものがその存在において尊ばれる』 この言葉も、私たちがこのサイトへ来て初めて教えていただいた素敵な言葉です。 『部落』があってもなくても、その存在においてすべての人は同じように尊ばれる。 『近視』、『不倫』、『うつ病』、『… 、 すべての人は、その存在において同じように尊ばれる。 そうしてまた、『考えの未熟な人』も『考えの深い人』も、『なにも知らない人』も『博識な人』も、『なにもできない人』も『なんでもできる人』も、すべての人が同じように尊ばれる。 なんでも許されるというのではないのです。 しかし、片方が悪いからすぐ警察に、というのでは、尊厳も何もありません。 そうなる前に、歩み寄る姿勢が必要なのではないでしょうか? ちょうど今朝の愛媛新聞にある小さいコラムのようなものが載っていました。 事件を新聞に載せるとき、「載せないでくれ」とお願いの電話がかかることがよくある。しかしそういう声を載せないわけにはいかない。けれども、その気持ちはよくわかる。小さな事件でも、記事にして似せるか載せないかは、針が右に行くか左に行くかというように揺れて悩んでいる。これからもその気持ちを大切にしていきたい。 こういうものでした。 『まごころ教育』も、好きで作ったのではないそうです。負担以外の何物でもなく、解決さえすれば、こんなものは消してしまえるのに、とある執行部の方が言っていました。でも、『事実を書かなければならない』その使命があるのですね。その発端は、2月のサイトの2つの事件。どうしてこんなに大きくなっても解決しないのでしょうか?私たちが学んできた『同和教育』とは違うな、と思います。 マスコミの使命は『真実を報道する』ということです。できる範囲で。翌朝までに載せなければならないとなると、どこまで真実に迫れるのかは、限界があるでしょう。この間、対談の中に出ていた松本サリン事件の河野さんの時のような大失敗をしてしまうこともあるでしょう。でも、中にはイラク戦争の真実を伝えようと命を危険にさらしても戦争の中へ飛び込んでいく報道陣もいます。なぜでしょう?なぜ、命を危険にさらしてまでして? その気持ちには、損得はないのだと思います。 『まごころ教育』も同じ気持ちなのだと思います。派閥も、団体間のしがらみも、一切ありません。真実を追求して報道するだけ。それのみなのです。私たちはそう思ったから、『まごころ教育』の門をたたきました。イラク戦争の中に飛び込むような気持でした。 でも私たちに、危険はありません。代わりに参謀本部の方が背負ってくださいます。 私たちは、『集まりんしゃい』のときからずっと読んでいました。荒らしには腹が立ちました。コナンさんが出て来て、逃げようがないように分析してくれて、すっきりしました。分析だけじゃありません。間違った時は素直に謝るし、時々暴言も吐くし。でも、その心が純粋なんだということは、すごく伝わってきました。 コナンさんのことは、高校生なんだとばかり思っていました。その正体をし言ってびっくりしました。でも、この『まごころ教育』の門を叩いて入って詳しく聞くと、3人の人が書いていたそうです。それで、とても勉強になったことがありました。それは『表現形態』ということです。こういう、まじめ一本な文章だけでは、読む対象が絞られてしまいます。幅広くいろんな世代の人を引き付けるキャラクターが必要なんだということです。 でも、それはかなり難しいです。私たちは、コナンさんの文体の研究から始めました。これを徹底的にやると、大分わかってきました。そこで次に、掲示板でよく出てくるある人物のパターンをまねることにしました。書き込みをして、モニター(何も知らない)に聞いてみると、成功していました。その人はHNが違うだけで同じ人物が描いたのだろうと思っていました。 私たちが、『署名』のことを聞いて、すぐに動こうとしましたが、参謀本部の人たちはみな忙しくいっぱいいっぱいで、しかし重要なことなので「任せるから作ってみて」とワードの元を渡されました。 あの表現形態は、コナンさんのものです。 なんだか長く書いたけれど、初めてデビューして、もう次はないかもしれないということと、こういう深い『想いと意図』があるんだぞっていいたかったんです。 3人で段落を一つずつ回しながら書いていきました。だから、つながりが不自然なところがあるかもしれません。最期まで読んで下さってどうもありがとうございました。こういう真面目な書き方もできるんだってことも言いたかったんです。その上で、あえてああいう表現をしてる意図をくみ取ってほしかったんです。上の段落と重なってしまいました。 まだ、私たち3人の芸名は付けていません。今考えているHNの頭文字をとってPMNニュースとしました。ニュースをまねして書いたんだけど、我ながら素人丸出しですね。ここまで読んでくださって、ありがとうございましいた。 どうもありがとうございました。またお会いできたら会いたいです。でも、これをチェックしてもらって没になるかもしれない。その時はもう会えません。ということで、一応、さようなら。 編集部より まさか、こんなに長いのになるとは思ってなかったです。気軽にゴーサインを出してしまったと思ったのはその2時間後。しかし、出来上がりが、さすが研究熱心な3人組ですね。その成果がよく出ています。 誤字の見落としあるかも知れません。まあ、よしとしてください。 MSIMEはみな同じ変換するんですね。掲示板で見かける誤変換だなっていうのがありました。あとは、書いてくれたのそのままです。 遅くまで起きてた皆さんは、できたてのホヤホヤが拝めますよ。いや、ご覧になれますよ。 では、アップします。 皆さんは、ここまでお読みになって、お疲れ様でした。 |